〇令和7(2025)年8月10日日曜日 ほぼホームページの作り直しを終えた。基本的にメモ帳での編集になるので、作業としては手間がかかるが、費用は掛からない。無料の基本ソフトを使って作成する以上、手間がかかるのは仕方がない。
〇令和4(2022)年1月29日土曜日 基礎給付金発行法を制定する。 基礎給付金は、日本に居住する住民登録者すべてに対して発行する。 発行であるので、日本銀行が担当する。 発行を受け、基礎給付金を受け取るには、市中銀行に個人口座を開設して、受け取り口座登録をしなければならない。 基礎給付金は、基本的に日本国において誕生するか、住民登録をすることによって、給付の対象とし、死亡もしくは、住民登録の解除によって、給付が終了するものとする。
〇令和3(2021)年12月21日火曜日 今日の世界の課題は、環境破壊対応である。 そのための、エネルギーシステムの転換と、汚染物質の削減や除去が回避できない問題となっている。それを実現しなければならない。 世界の未来像は、環境破壊対応で経済社会の再構築をしなければならないことを求められているのである。 世界のビジョンが、環境破壊対応での社会の再構築であることによって、各国のビジョンも、環境破壊対応で社会の再構築を進めなければならないことになる。 それを各国で進めるには、相当の資金が必要になるだろう。それをどう調達するのか。それが、問題になるが、その資金に日本円の無償提供をしたら、どうなるだろうか。 破格の資金提供。その提供された日本円は、日本円である以上、日本の技術協力、日本の企業、日本の建設会社への発注という形で帰ってくるのではないか。つまり、日本の世界経済の中での需要の増大ということになる。 だが、直近では、世界の物流が混乱しているから、すぐには対応できないだろう。しかし、世界に対する、全世界に対する資金提供は、価値と効果のある施策であると思われる。
〇令和3(2021)年1月7日木曜日 新型コロナの終息というのは、どういうことを考えて、言っているのか。 例えば、インフルエンザウイルスは消えていない。同じく、新型コロナウイルスも消えはしない。 インフルエンザウイルスは、毎年変異している。 同じく、新型コロナウイルスも既に変異種が現れている。これから、毎年、現れるだろう。 そして、新型コロナウイルスは、感染力がインフルエンザウイルスよりも格段に強い。 つまり、流行が遥かに早いということ。 毎年、ワクチンを開発して、毎年、全世界に供給して、毎年、全世界的に接種して、新型コロナウイルスの流行を抑える。 それが、新型コロナウイルスの終息ということか。 上手く行けばいいが。
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〇令和2(2020)年10月28日水曜日 宇宙は全てを記憶する。 過去、 現在、 未来、 全てがつながっているから。
すべての人の、 良いことも、 悪いことも、 すべて、 記憶する。
すべての存在の、 相依り、 相まった、 結果としての現在がある。
それは、 すべてを、 記憶している証拠である。
現在が、 証拠なのである。
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〇令和2(2020)年10月22日金曜日 思想とはなにか。 思想とは、単純に思いの総和で十分だ。 つまり、「思い」。 それで、いい。
それ以上に、複雑な構造を持つ必要性はないと考える。
なにが大事かと考えるのは、価値観だ。
だが、それも、思想だろう。それも、「思い」であるからには、価値観は、思想だ。
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〇令和2(2020)年10月1日木曜日 やむにやまれぬ理由によるのだろうが、芸能人の自殺が相次いでいる。 流れに身を任すような、 風に吹かれるままにするような、もう少し、思い詰めない、お気楽な心持ちで、人生や仕事や人間関係を、楽しんで生きることに挑戦してみてはどうなんだろうか。
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〇平成16(2004)年8月5日木曜日 命が基本である。 なぜなら、命があってこそのこの世だからである。 人間存在の第一の要素が命だからである。 だから、命がまず第一の判断の基準、善悪の基準になるのである。
こんな簡単なことが、人間世界で、意外と知られていないようだ。
道徳や、善悪を、何を基準に考えればいいか、教えたらいいか、わからないという人がいる。
命を損なうことが悪である。 生活を損なうことが悪である。 まず、単純にそこから出発する。
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〇平成16(2004)年2月27日金曜日 お互いに殺し合う道でなく、お互いに生きる道を探るのが、知恵のある人間のあり方だ。
お互いに生きる道を探れ。 お互いに生きる道を。
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〇平成16(2004)年2月26日木曜日 神が基本なのではない。 人間が基本なのだ。 生きている人間が基本なのだ。
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〇平成16(2004)年2月25日水曜日 民主制政府の第一の使命は、人権を守護することである。 人権の守護。その目的においてのみ、権力の行使は正当化できるのである。
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〇平成15(2003)年12月16日火曜日 日本は、アメリカの属国に等しい。国際社会の中で、日本は、独立国家とは言い難い状態だ。 まず第一に、自らの安全保障を、アメリカに依存している。 それは、太平洋戦争の敗戦による経緯から、アメリカに服従する道を選んだことによる。 しかし、それゆえにこそ、国防費を低く抑えて来れた。 メリットはあったのだ。 それに、アジアの周辺諸国の危惧を考えると、日本はやはり憲法を変え、軍隊を持つというのは、現実的な選択ではない。 今のままの憲法を維持し、その上で、国際協力の道を探るしかない。
アメリカの属国並みの現状を変えるというのは、実は、不可能なことなのだ。 また、メリットがないことでもある。
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〇平成15(2003)年12月15日月曜日 もともと、民衆が政権を取るために、自分たちに政治を行う権利があると主張する理由として、人権が考え出され、そこから人間ひとり一人に政治を行う権利があると考え出されたのではないか。
王権は、国民を王の私有物とみなす。国民に対し、生殺与奪の権を、王は持っているということになる。 これに対抗する考えとして、人権が考え出されたのだ。
そして、人間一人ひとりに政治を行う権利があるとし、人権の最高のものが政治権であり、これを行使することは、王権に対抗する意味からも、己の人権を主張する意味からも、なくてはならないことだと考える。
民主制政府の統治権は、人間一人ひとりの政治権の総合として代表者に仮託されているものでしかない。 だから、常に、民主制政府は、国民の意思の反映であるべく、その審判を受けなければならない。
政治権という言い方は、なじみのないものである。だが、政治を行う権利がひとり一人にあるのだと考えるから、 政治権という言い方がいいのだ。
「参政権」という言い方は、参加する権利、参加してもいいし、しなくてもいいという権利のように聞こえる。
だが、本来、民主革命は、人民の政治権の主張こそが眼目だった。
王権を打倒し、民主政治を実現することが目的の革命だった。
だから、政治権というものは、民主制下の国民一人ひとりの権利であるばかりでなく、義務として、国の政治を考えること、行動することが必要であるという、重大な人権なのだ。
そのように教え、受け継ぎ、行使していかなければならないものなのだ。
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〇平成15(2003)年12月12日金曜日 民主制とは、人権のうちの政治権の主張から始まる政治体制である。
ということは、何を意味するのか。 それは、民主政治にとって、もっとも基本のことは、人権だということである。
人民が人権に目覚め、人権を主張することから、政治の主催者は、自分たち自身であると主張する。
すなわち、政治権の主張であり、それが、民主制を作り出したのである。
自分たちの社会は、自分たちが統治する。 これが政治権である。
民主革命は、民衆が人権を主張するところから始まったのだ。 だから、民主制政府の第一の任務は、人権を守護することである。
「人権の守護。」
これが、民主制政府の第一の任務なのである。
民衆は、自分たちの人権を主張し、自分たちが構成している国の統治権は、自分たちにあると主張した。 国を統治する権利、政治権は、国民以外にはないと主張した。
国を構成する国民にこそ、国の政治を行う権利がある。 国民が主権者だ、国民ひとり一人が主権者だという主張。
その主張を認めるところから生ずるのが、政治権である。 言い換えると、これは自己統治権である。
これを、「参政権」などと弱くて、参加してもいいし、しなくてもいいようなものというような言い方をするから、政治に対する関心が低くなるのだ。
政治に参加しなくてもいいなどということは、本来、許されないことである。
それは、主権の放棄に等しい愚かな行為だ。 先人が血を流して勝ち得た貴い権利の放棄。
自分の人権をなんだと思っているのか、ということになる。 そんな安っぽいものなのか。 人権とは、崇高なものなんだ、という意識が必要なのだ。
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〇平成15(2003)年12月11日木曜日 国際社会の中での日本のあり方。
それには、日本という国家は、何を基本とする国であるか、ということが深く関わる。
現在、日本は、憲法において、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」と宣言している。
ならば、日本は、国際社会において、積極的に平和の維持に努め、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から除去する活動に従事することは、憲法に宣言した責務であると考える。
〇「基本は、生きている人間だ」、ということである。
「生きている人間」ということは、万人にとって共通する基本だということである。
それは、万人にとって共通する基本とは、命だ、ということである。
言い換えれば、「お互いに生きている人間」、これが、万人に共通する基本の認識だ、ということである。
「お互いに生きている人間だ」「同じ生きている人間だ」これが、共通の基本的認識なのである。
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〇平成15(2003)年12月8日月曜日 宗教は、その教義を改めることができるか。
宗教は、その創始者の教えを金科玉条として凝り固まり、その教えには間違いがないとして成り立っている。 だが、そのために間違いを犯す。 それが宗教の問題点だ。 宗教は、自由な論理的思考を許さない世界だ。
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〇平成15(2003)年12月5日金曜日 イラクで、二人の日本の外交官が殉職した。
二人の死から、我々は何を学ばなければならないのか。 二人の死の意味するところは何か。
かの地には、義がなくなっているということか。 だから、二人は殺された、と。 だが、殺した者らの側から言わせると、我々の方にこそ、義がないということになるのか。
イラクがどうなるか、一度、イラクを離れ、イラク人自身の手に任せてみるのも、方法の一つではある。 しかし、イラクが混乱の巷と化すのは、わが国ばかりでなく、世界にとって、大きな不利益を意味する。
どちらにとっても苦しいことではあるが、イラクには、世界の諸国の介入の下での復興によって、アルカイダやフセインなどの支配しない、自由で民主的な国になってもらいたい。
だから、我々は、二人の犠牲に怯むことなく、二人の死を無駄にしない道として、彼らの目指した道を歩み続けることを選ぶのが良いのである、と考える。
我々が何をしようとしているか、わかっているイラク人は必ずいる筈だ。 少なからずいる筈だ、と思う。
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